最高指導者の条件
先日、『最高指導者の条件』(著者:李 登輝 出版社:PHP研究所)を読みました。『「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは』(出版社:小学館)を読んで、李 登輝さんのファンになりました。日本人の「アイデンティティー」と「誇り」を思い起こさせてくれることが好きですね。
現在、日本の政治は、ますます混迷を深めておりますが、『最高指導者の条件』では社会の変革が求められているこの時期に示唆的な内容が書かれていました。
以下、簡単に内容をご紹介いたします。
『戦後の日本を考えると、官僚が主導的立場で、政治に関わってきたように思える。官僚は法律を通してものごとを考えるため、現実の社会に必要なことでも「法律では、△△と定められてる」と受け入れないことがある。このような法律に拘束された「法律屋」が中心となっている組織では、建設的な仕事などできるはずがない』。
現実の社会と法律とが、かけ離れてしまったときに、政治家が判断して立法するわけです。しかし、この判断に疑問を感じることがしばしばあります。例えば、道路特定財源について、多くの国民が「適正に税金を使うのであれば、揮発油税(ガソリン税)自体を廃止する必要はない」と感じているにもかかわらず、政治家がそのあたり前の判断ができずにいること――。「政治家」の存在感を感じることができないのは、私だけではないと思います。
ちょっと飛躍し過ぎかもしれませんが、先日お会いしたアルピニストの小西浩文さんが明治維新の志士たちがあれほどの偉業を成し遂げられた理由のひとつに、日本全国を歩いたことにより、足腰だけでなく、丹田も鍛えられたことををあげられていました。もしかしたら指導者も含め、今の私たちに不足していることはこのような根源的で、単純なことなのかもしれません。
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